長野別院について
本願寺長野別院は、もと深谷山蓮華院正法寺とも普門山とも称していました。
1198(建久9)年、信濃国水内郡(現在の長野市若槻)見登山城主和歌月石見守の次男和歌月重勝が開基であり、建暦年間(1211~1213年)、越後より関東に向かわれる途次、北信濃に滞在された親鸞聖人に帰依し、法名釋證誓を賜ったと伝えられています。
1580(天正8)年、第7世釋明誓が長門町(現在の長野市)に出て正法寺を創建し、1636(寛永13)年、釋明誓のとき現在地の西後町に移転し、1772(安永元)年、第11世釋観式のとき旧本堂が建立されました。1871(明治4)年には、近代学校の内容をもった長野県初めての「長野県学校」が正法寺に開設された歴史があり、地域に密着した寺院として機能していました。その後、1925(大正14)年、諸般の事情により正法寺は、京都西本願寺の直属寺院として、本願寺長野別院となりました。
現在の本堂は、1974(昭和49)年、「親鸞聖人御誕生800年・立教開宗750年・長野別院創立50年慶讃記念事業」として建立し、大谷光照門主(当時)御親修により『長野別院本堂落成慶讃法要』が勤修されました。また、1995(平成7)年、本堂を再整備し、内陣・外陣、本堂内外装を一新して、大谷光真門主(当時)御親修で『長野別院創立70周年記念法要』が勤修されました。
本堂の階上には「無量寿堂」を併設し、納骨所として機能しています。
庫裏は、1985(昭和60)年、「長野別院創立60年記念事業」として建設されました。1階は講堂を中心に、輪番室と事務所が併設してあります。2階には会議室、講師室、客間と職員住宅があります。
鐘楼は最も古い施設で、近隣の人びとに毎日、「正覚大音 響流十方」と安らぎの音色を伝えています。
鐘楼に隣接するところには、かつて会館がありました。その会館は、もと「別院附属長野中央幼稚園」で、明治時代の「多々恵日曜学校」の活動を前身とし、「中央幼稚園」(1937年~)「別院附属長野幼稚園」(1945年~)と発展し、地域の子ども達に宗教教育を行った歴史ある幼稚園でしたが、少子化の影響により2002(平成14年)3月に閉園となりました。その後は各施設を体操教室・少年少女合唱団・ビハーラ長野等の活動に貸しており、地域における活動の場としてきましたが、2018(平成30)年、建物を解体し、現在は駐車場として活用しています。
本願寺長野別院は、長野における浄土真宗(西本願寺)の正法弘通の伝道教化センターとして活動を続けています。
長野別院飛地境内
〒380-0845
長野県長野市西後町1653